教育現場でなくならない暴行事件

宿題忘れ立腹、小3の骨折った担任を書類送検 傷害容疑 http://www.asahi.com/articles/ASL2N524KL2NTIPE01G.html?ref=newssuite --- ニューススイート bit.ly/newssuitejp

 

大人から子どもへの"暴力"が生じるワケ

 

家庭、教育現場、部活動、あらゆる育成現場…

大人が子どもに指導という名のもとの『統制』、『しつけ』、『指導』を身に付けてほしい時、全ての子どもが大人の思う通りに、言う通りに行動できない。

これは大前提の周知の事実。

 

そんな時、

→「こっちが貴方(子ども)の為を思って、こんなに熱心に指導してるのに、何で出来ないんだ⁉」

という気持ちから、

→「お前、なめてるのか⁉」

という嫌気に変わり、

→「お前、いい加減にしろよ」

 

と、怒りに変わってしまう。

それでやるせない想いから暴力という最終手段を選んでしまう。

 

家庭内の親子でも同じことが展開してしまう。(我が家は…)

 

親は良かれと思って 注意やアドバイスをする

→   無視もしくは「待って‼」「後でやる」

はい、変化なし。

→「だから、○○してよ」           

「うるせーなー」などの反抗         

→「その態度は何!?こっちは貴方(お前)の為を思って言ってやってるのに💢」         

 

怒りがこみ上げ、痛い目に遭わせてやりたくなる。

 

これは誰にでも襲いかかる心理。

でも、面白いことに、どうでもいい相手には生じない心理でもある。         

指導現場や教育という上下関係もとでは、少なくとも○○を指導したい 、○○を教えたいという欲求がある場合に起こると私は思う  。

 

それが、学校という現場で、まして今回のように傷害事件に発展してしまうのは断じてあってはならないこと。

先生(指導する側)ー生徒(指導される側)という絶対的な関係で、それを出したら、教育者として負けたことになる。

 

「宿題をしないと、自分が困ることになる」という啓発が出来てなかったということだから。

力でもって罰を与えるのは指導ではない。

その子が再三の注意をきかなかったという、自分の指導を無視された形になったことに腹を立ててのことだろうか…。

 

「何故宿題をしなければならないのか」

「何のための先生の指導なのか」

「宿題をしないとどうなるのか」

が、伝わってなかったのだろう。

 

もしかしたら、塾の宿題を優先させる家庭環境だったのかもしれない。

もしかしたら、宿題をどうしてもできない理由がその子なりにあったのかもしれない。

 

ただ、この先生は教職を手放すことになるかもしれないほどのリスクを侵してまで、宿題をさせたかった、もしくはさせる必要があったのか?とは思ってしまう。

 

そして、自分にも言えることだが、しつけや指導の枠を越えた、自分の理想を押し付ける形の行き過ぎたしつけを自分もしているのでは?と、この記事をよんで考えさせられた。

 

答えは明確でした。

『してます』

 

指導力、啓発指導能力不足甚だしいです。

親という力でもって、事を収めようとしていました。

残念です。子どもたちに謝りたい気持ちです(笑)

 

現在の学校教育現場

最近は、生徒優位な気がしてなりません。

例えば、生徒の名前を"さん"付けで呼んだりするのにも違和感を覚えます。

 

子どもの話を聞くと、先生に対して暴言を吐いたり、暴れる子もいたり、反抗的な目つきをしたり、結構大変そうです。

時々、先生が机を蹴ったとか、肩をグイグイした、とかも聞きます。

 

やっぱり皆の前で罵倒したり、叱責するのは、子どもからしたら辱しめられてると感じてしまうし、指導するには問題生徒を別室に呼び出し、ゆっくりと目を見て指導することが理想でしょう。

 

が、しかし、

実際先生にはそんな時間はありません!!!

一人一人に掛ける時間は無いし、やらなくてはならないことが山積でしょうし…

 

どこの現場でもやっぱり丁寧に時間をかけて子どもに接することが必要で、そのためには業務形態そのものを見直す必要もあると思う。

 

一昔前は、特に中学校において一学年に一人はおっかなさすぎる先生が存在し、竹刀を常に持っていたり、薄いサングラスみたいなメガネを掛けていて、強面な先生が睨みを効かせていた。

中にはやらかしてしまった生徒を竹刀で叩き付け、骨折させたという噂も耳にした。

 

それでも、今ほど大騒ぎにならず、ニュースにはならなかったほどだ。

 

それがよい教育とは、全くもって思わないが、中学、高校年代はそういう先生も必要だろうと思う。

 

暴力はダメだが、ナメた生徒には、肩をグイグイや、恫喝位は必要なときもあるだろう…

 

長男が中学入学直後に、仲間とつるんで問題を起こした時、親が呼び出され、廊下で待たされていたことがある。

罵声が聞こえ、椅子がガンガン鳴り響き、机を叩き、先生が怒鳴り声をあげていた。

「こりゃ相当やられてるな…。胸ぐら捕まれてるかな…。」と、少し大人でもひいてしまうほどの怒りっぷりだった。

 

でも、私はなぜだか安心してしまった。

「あ、まだ中学校にもこういうこわすぎる先生がいてくれてるんだ✨」と…。

私自身も、今の公立学校は先生が弱腰にならざる終えなくてダメだな…と感じてしまっていたので、何だか正直ホッとした感情を抱いた。

まるで、警察のきつーい取り調べの様だったから。

 

集団の中で、見せしめに似た暴力は絶対にいけないが、熱意をもった怖いくらいの指導は思春期の子どもたちには必要だろう…。

 

子どもは思い通りにならない。

指導が伝わらないのは、こちらの指導力不足

暴力で解決してしまったら、大人の負け。