しつけと虐待のあいだ
子どもを怒鳴ってしまう母親たちの揺れる心境 しつけなのか虐待なのか - ライブドアニュース http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12245687/ --- ニューススイート bit.ly/newssuitejp
『冷静と情熱のあいだ』みたいな風合いにしてみました(笑)
これは子育てをする者は誰しも感じることではないでしょうか…
自分の子育ては完璧だ‼と、自負する親御さんも少なからずおられるでしょうが、自分の子育てに不安や迷いを抱えている親御さんがほとんどではないでしょうか…
現に私も思春期への階段を昇り始めたFに手を焼いております⤵
大学時代、虐待を研究し、卒論を仕上げ、子育てママたちの相談員を生業にしていた私も実際「手をあげる親になる」なんて夢にも思わなかったです。
が、しかし…
実際手をあげてしまうこともあるし、怒鳴り散らし、モノに当たり…
ホトホト自分に嫌気がさしています…
○やってしまったことは消せません。
○言ってしまったことも消せません。
○そんなつもりはなかったも通用しません。
では、どうしたらいいの!?
……分かりません……
結局正解なんてないと思うんです。
私は、猛烈に反省します。
そして、気持ちの切り替えが出来たら、日常に戻ります。
頃合いを見て(相手の出方も見て)、「昨日はやらかしちゃってごめんね💦💦」
で解決した気になってます。
で、自分がどうしてあんなに爆発してしまったかを聞いてもらいます。
「ママも完璧な人間ではないから、ああいうことされたらこうなってしまう…
だから、こういうことがないように貴方もこうしてくれたらお互い良い気分でいられる」
ということを年齢に合わせて伝える。
それしかない気がします。
あんなこといったけど(したけど)、私は貴方を愛している‼ということが伝われば、ハグして、ひとまず収まるのではないでしょうか…。
深呼吸、客観視…それが出来たら虐待にならないと思うんですが…
子育ては本当に難しいです。
正解がありませんから。
子どもの難病④
検査入院を終え、ついた病名。
SLE:全身性エリテマトーデス
成人女性には割と多い病気だが、子どもの発病は稀で10万人に5人とも言われているらしい…
宝くじよりもすごい確率です!!
難病指定されている病気で、原因不明。
現代医療では特効薬はなく完治不可能。
娘は生涯この病気とうまく付き合っていく人生になりました。
主な治療はステロイドパルス療法および投薬治療。
小児病棟での体験
大学病院での入院経験はあったものの、こども専門病院での入院は、私にはとてもセンセーショナルな体験となりました。
病室に通されると、4人部屋の他の3人はみんな体毛が抜けてしまっていた…
小児白血病である。
病室は通常ランク分けされており、娘の病状の深刻さを目の当たりにした。
病棟を散歩すると、色々な病を抱えた子ども達がたくさんいた。
ありとあらゆる症状の子ども達が沢山。
神様は何故こんなにも、沢山の子どもに苦しみを与えるんだろう…
神様なんていない。
当時はそんな風に思っていた。
病棟はうめき声や叫び声、嘔吐に苦しむ声が方々から聞こえてくる…
初日は親子で緊張していた…
この環境に娘一人を置いていくのは気が引ける…
心配で心配で
後ろ髪引かれる想いで病室をあとにした。
子どもの難病③
診断がつかない不安
症状の原因がわからない怖さを抱え、ただただ付き添うことしかできない日々。
先生も判断がつかず、専門医に掛け合ってくれている。
本人も大学病院の小児科では古株になってしまい、日に日に慣れていき、看護師さんと仲良くなり、お友だちもできたりと順応し始めていた。
退院するお友だちを見送る切ない小さな背中が忘れられない。
ある時は、8人部屋に一人になってしまったこともあり、殺風景で、さすがに寂しくなってしまった…😞
「貸しきり部屋だね✨ぜいたく✨」「映画も大音量で観れちゃうね!!」と、冗談をいいながら。
毎日ほとんどの時間を柵付ののベッドの上で過ごし、トイレやプレイルームへの移動も車イス生活に…。歩行禁止令が出ていたのだ。
外は桜が満開に咲いている…🌸
Sと二人で窓越しに桜を見る。
Sを抱っこして二人で桜を眺めた。
「早くお外で見たい…」と涙目に…
「ごめんね…来年はお外で見ようね」と、心の中でつぶやく母
今年の桜は、心が弾まない…
悲しませる桜なんて、早く散ってしまえ❗
そんな風に思っていた。
子どもの前で涙を流すわけにはいけないので、無理をしてでも、どんなに不安でも、どんなに不憫でも、笑顔で楽しく過ごせるように❗
あの2週間は悪夢のようでした。
病院の外に出たとたん、張り積めていた線がプチっと切れ、涙が溢れる
帰路の車の中では号泣
自宅近くなると、車を路肩に停め、涙をぬぐい、今度はFに悟られないよう元気に帰宅する…
早く病名がつきます様に…
変わってあげられるものなら変わりたい…
神様なんて、存在しないのかも…
小さな身体の隅から隅まで検査をし、入院2週間目に、やっと病名が判明した。
つづく…
子どもの難病②
鮮血の鼻血が40分以上ダラダラ出ることが異常であることは、なんとなく理解していた。
若い医師から取り敢えず、採血をするとの説明を受け、Sは診察室に…
待っている間、色々なことが頭をよぎる。
たいして豊富でない医学の知識が頭をめぐる。『鼻ほじりすぎじゃないの⁉白血病⁉敗血症⁉何なの⁉どうなっちゃうの⁉』
10分程度の時間が30分に感じる。
やっと、医師が説明に入り、「白血球の数値は正常値内だが、大量の出血のため、白血球の数値も低くなっている。今の段階では何とも言えないが、精密検査を受ける必要がある。大きな病院へ行く必要があるため、今日は入院することになると思う」とのこと。
夫婦共々、不安で胸がいっぱいになる。
前にお世話になった大学病院へ急遽検査入院することに…
Sは不安と眠気で、朦朧としている。
歯医者も予防接種も大嫌いでいつも大泣きしているS…
到着後、ベッドに横になり点滴を注入されることに…
昼間の元気な様子からの信じられない光景を前に、手を握ってあげることしかできない。
時刻は深夜1時過ぎ…
取り敢えず、近所に住む姉と実家の母にメールで事態を報告することに…
その大学病院は親が同伴して泊まることができないため、泣いて帰りたがるSを説得して、帰路についた…
子どもの難病①
青天の霹靂
今から約2年前の話。
うちのF(長男)もS(長女)も、大きなケガも病気もせず、病院のお世話になることが極めて少ない子達でした。.
特にFはインフルに1度もなったことがないという・・・
二人とも病院とはほぼ無縁の生活を送っていました。
あの日が来るまでは・・・
その日もいつもと変わらず、3月の寒さが残る休日、Sは元気に親戚の家に遊びに行き、親戚のおじちゃんの背中によじ登ったり、遊びに夢中になっていました。
いつも通り夕飯を済ませ、パパとお風呂に入り・・・
本当にいつもと変わらない日常風景。
しかし・・・その日の夜は違いました。
Sはよく鼻血を出す子でした。(よく鼻をいじってたので笑)
いつもなら鼻栓して10分もすると出血は止まっていたものが、その日は20分・・・30分・・・『あれ、おかしいな・・・』
出血はちっとも薄くならず、鮮血のまま。
50分経過。。。
これは鼻ほじりすぎの出血じゃない!!
すぐに救急に電話。念のため来るようにとのこと。
時刻は22時。Fはすっかり眠り込んでいる。
応急処置ですぐに帰れるだろうと、翌日も学校のFに携帯を持たせ、留守番させることに。
車内ではまだ鮮血が出ている。
この時点でフェイスタオル2枚が真っ赤に染まってしまうくらいの出血。
救急外来の看護師に状況説明。
『最近気になることは?』
ー脚にあざが多数あり、太腿裏に大きなあざがあることと・・・。乾燥で口を切ったのですが、病院へ行ってもなかなか治りません。鼻血は最近よく出てますが、こんなに止まらないのは初めてです。
時刻は12時近く。
まだ出血している。トータルで3時間近く鼻血が出たままでいる。
看護師や医師がざわついてるのを肌で感じた…
今日は帰れないかも…そう感じた。
次につづく…
ドキドキの8年ぶり出産
計画入院のため、出産前日に入院
①お昼に産院に入り、だいたいの出産の流れについての説明を受け、ちょっと、気恥ずかしいピンクの分娩着に着替える。
軽食をとったり、のんびり過ごす。
②子宮口が全然開いてないため、夕方バルーンを挿入
初めてのバルーンは痛みはないものの、なかなかの違和感あり。
就寝前にバルーンの刺激からか、腹痛が襲ってくる‼
トイレに引きこもる…
その時、一緒にバルーンが飛び出てくる‼
ちょうど風船膨らませて、指で抑えてたのを外して、ブルブル萎んでいくあの感じで‼
あれにはびっくりしたわ…
バルーンが出てくるということは、子宮口が3㎝開いたということらしい。
③それから、定期的にお腹の張りが出てくる
いよいよか~と、ドキドキするが、眠気と共に張りも消失してしまう…
就寝
出産当日
①朝9時にいきなり分娩室に行き、分娩誘発の点滴を打つ。
なかなか陣痛が来ないため、陣痛促進剤の点滴も注入開始。
②11時頃じわじわ陣痛から一気に強い陣痛が押し寄せてくる‼
無痛分娩って、全く痛みがないのを期待していたが、そうではないらしく、切羽詰まってから麻酔の準備開始。
③いやいや、普通にMaxで痛いよ‼
というあの恐ろしい痛みが襲ってくる。
もう、脚がブルブル震えて、低めの渋ーい唸り声を出さずにはいられない。
その痛みの中、背中にブスッと麻酔針が…
ダブルで痛くて、「なんじゃごりゃ~っっ!!」状態。
これじゃ、普通分娩と変わらないじゃんか!!と、軽く怒りを覚える。
何度も助産師さん及び麻酔科医の先生に「無痛ですよね⁉」と絡んでしまう(笑)
④麻酔がスゥーーっと効いてくる‼
まさに地獄絵図の様な世界から、青い空、白い雲が広がる爽やかな草原の世界へ。
ひんやり爽やか~という感覚。
麻酔科医の先生が女神の様に神々しかった。
⑤いい感じだった陣痛が遠退く…
無痛だと陣痛が遠退くことがあるらしい。
促進剤で胎児の心拍に異常が見られる‼
助産師さんがざわつき、先生が呼ばれ、これ以上の注入は良くないので促進剤の点滴を中止することに…
⑥なかなか強い陣痛が来ず、気付けば17時!!
先生が長すぎると陣痛が弱まるため、麻酔を中止(T0T)
いやいや、普通にまた痛いよ‼
助産師さんの許可を得て、手元の麻酔スイッチを押してしまう(>_<)
普通分娩からしてみたら、ちょっと痛い位ですぐ押してしまう弱い母(笑)
助産師さんと世間話やら、最近の出産事情など話す余裕があるのがすごい。
⑦いつの間にか子宮口が全開大に
汚い話、助産師さんに「便意がーー、便意がーー」って話ばかりしていた(笑)
普通分娩なら、そんな便意に構ってる羞恥心を持つ余裕はない‼
そう、以前は分娩前に浣腸がもれなくついていたのだが、浣腸していないことに今さら気付く(笑)
助産師さん曰く、最近は浣腸しないのが主流らしい。
「大丈夫、安心して~」と言ってもらえ、委ねることにする。
⑧いい加減いきみたくなってきたので、先生も参加して、娩出体制に‼
麻酔も弱めたためか、普通に痛い‼
が、8割の痛みだろう…と冷静に分析
確か、本気でいきんだのは2回ほど
ギュルンと誕生!!
うわぁーーー、出たーー!!
感動の初対面✨
今回は「やっと会えたね~、頑張ったね~」が、初めてのコトバだった
とにかく、無事に産まれてくれて本当に良かった!!
久々の妊娠&出産
我が家には子どもが3人います。
上から12歳♂F(first)君、8歳♀S(second)ちゃん、0歳♂T(third)君。
子どもは3人欲しいと考えていたけど、3人目がなかなか授からず、上と下は干支一回り回ってしまいました!!
これから、長い長ーーーい子育てが待ち受けてますね。
Fは、なかなか多感なお年頃の妊娠&出産だったので、あまり学校行事には出席しないことが多かった。
Sは、女の子だから赤ちゃんの誕生を誰よりも(旦那よりも)楽しみにしてくれていた。
妊娠中も私の身体を気遣ってくれたり、お腹を触ったり話しかけてくれたり、家事を手伝ってくれたり。
余談ですが、ウチの旦那は1人目妊娠時から、お腹に話しかけたり、すりすりしたりするような事を一切しない人で。
某妊娠雑誌○○○クラブなどのよくある投稿「ウチのパパは~、帰ってくると私より先にお腹にただいまと話しかけまぁす!プンプン」みたいな投稿読んでイラッとしたのを覚えてます(笑)
私には精神衛生上良くないので、あの手の雑誌は意識的に購入しないようにしてましたね(笑)
3人目は○高(高齢出産)だったため、やはり悩んだのは羊水検査や出生前診断。
「もし、何らかの障害があったら赤ちゃんをどうするか?」など夫婦で色々話し合った。
私たちは赤ちゃんに何かがあったとしても産むという結論。
だったら、特に受ける必要は無いということで検査等は一切受けなかった。
3人目ということで、予定日より早く生まれるのを前提にしていたが、なかなか出てくる兆候がなく、予定日の1週間前から1日1時間~2時間ウォーキングした。
産気付かず、時にはジャンプしたり、スクワットしたり、ネットにかじりついて、陣痛を促すとされる様々な事を一通りやってみた。
結局、予定日より4日も遅くなってしまったけど…
何とか無事に出産。
今回は年齢や上の子達の学校のため里帰り出来ないことを考慮して、初無痛分娩での出産
次は出産についてリアルに綴ってみよう🎵