受験シーズン到来!!
いよいよ、年も明け、受験シーズン到来の季節ですね。
受験生を抱えるお宅は、体調管理に資料集めなどなど、色々神経を使う時期ですね~~
受験には当然のことながら合格/不合格がつきものです。
志望校合格の為に色々なものを我慢し、犠牲にし、頑張ってきた成果を試す…
色々な想いを抱えての緊張、プレッシャー、不安…
不合格
我が家も去年長男Fの不合格を体験しました…(T-T)
頑張ってきた本人は勿論、親もかなりショックな結果でした…
親子で半分は受かるだろうと確信を持っていただけに、ショックは大きかった‼
我が家の場合、子どもの方が切り替えが早く、親の方が結果を受け止めるのに時間がかかり、モヤモヤ落ち込んだりグチグチしてしまった…
周りには合格した友だちばかりで、余計に息子が不憫に思えたり、時には開き直っている息子にキツい言葉を吐いてしまったり…
ただ希望していた場所に縁がなく、必要な能力が至っていなかっただけなのに、全否定されたかのような錯覚に陥り、親である自分も否定されてしまったような、そんな気分になったのを覚えている。
それでいて、合格した友だちが羨ましくて…妬ましくて…
当時はママ友や知り合いにも会いたくなかった。
会ったら結果を聞かれるし、作り笑い疲れるしで…皆の目線や言葉が哀れみ一色に感じてしまって。
合格した親の言葉が全部痛かった~~(泣)
本当にあの頃の自分の心はひん曲がってる(笑)
今となっては親子でいい経験をしたし、人としての経験値が上がった♪と、思っている。
子ども自身も思い通りにならず、合格した仲間の中で、様々な経験をし、打たれ強くなったでしょうし、挫折感も感じ、壁を乗り越えてほしいと切に願っています。
私自身は、不合格となった親の気持ちを初めて知り、今後はダメだった人たちの気持ちを考えた言動がとれる人間になろうと思ってます。
合格に浮かれて、人の気持ちも考えないハッピーオーラ全開♪みたいな空気の読めない人間にならず、ダメだった人の立場にも立てる人間になることができたと思います。
子は親の鏡~子どもを見れば、親が分かる~
子は親の鏡
この古くから使われているコトワザ、怖いですよね~(>_<)
でも、本当にそうだと思うんです‼
いじめをする子は、家庭でストレスを与えられているし、言葉遣いや素行が荒い子は、荒い家庭環境で育てられている。
保育園、幼稚園、小・中学校、高校……
様々な教育現場で第3者が子どもを見ている、見られている…
私は6歳までの教育現場しか知らないけれど、本当に「子は、親の鏡」と、感じることが多々あって、面白かった。
中でも女の子の家族ごっこ(昔はおかあさんごっことネーミングしていましたね)のシーンなんて、最高です‼
旦那さんから電話がなるシーン
「トゥルルルル~🎵」
「はい、えーっ、もう帰ってくるの!?
何でもっと早く電話しないのよっ💢💢いい加減にしてよっ💢💢」
「じゃあ、帰りにアレとコレ買ってきてねっ!!分かったぁ??💢」
「ガチャンっ!!」
この女の子のお母さんはメチャメチャお上品ではんなりお着物を着こなす、とーってもおしとやかなママさん(笑)
でも家ではこんな感じなんだな…💦なんて、思ったりしていた‼
しかも、時には棒を加えている‼
ーそう、くわえタバコのマネしていたのです‼
怖いですねぇー、見られてますよー(笑)
ま、笑い話はここまでにして、実際問題、本当に「我が子は自分の生き写し」と、思って行動した方がいいですよね‼
何をやっても上手くいかない、あの子はそつなくこなせてるのに…
家の子は問題ばっかり起こしてっ!!
キーーーッッ💢ってなる前に、親である我々を鏡で見てみましょう‼
「そうだ、あの時我が子にあんな対応もしてしまったし、こんな事もしてしまったし…」「自分の子どもの頃もこうだったしな…」と、少しだけ落ち着けるように思います。
我が子だけを見つめてみる
「あのお宅の子どもはこうなのに、なんで家の子はこうなのかしら…」
「あの子はできるのに、何で家の子はダメなんだろう…」
これは子育てにはつきものですよね💦
生まれた赤ちゃんの出生体重から始まってるような気がします…
あの子は○○グラムかぁ、あの子は顔が整ってるなぁ…
あの子は寝返りしてる~、家はまだだなぁ…
家の子、大丈夫かしら…
幼児期は、あの子は運動もできて、絵も上手、もうひらがな書けるんだ‼
家の子、大丈夫かしら…
学童期は、あの子はお勉強も良くできて、スポーツも万能✨
それに比べて家の子、大丈夫かしら…
高校受験、大学受験、入社、結婚、出産…
もう、ずーーーっと、比較していくのか、と、うんざりする。
でも、こうなった時の私のとっておきのコトバ✨
「じゃあ、あの子と我が子、まるまる交換したいですか?」
答えは「NO!!!!」
いくらあの子はデキが良くても、やっぱり私は我が子がいいっ!!で、落ち着くんです(笑)
「他の子と比べない」「比べない幸せ」関連の書籍は大量にあるけれど、比べないのはほぼ不可能。だって、そこにヒトがいるから…
この世で自分だけだったら比べようもないけれど、一歩外に出れば比較対象がウヨウヨしてる‼
だったら、比較してもいいし、自分の中でどんなにデキの悪い我が子を嘆いてもいい‼
でも、最後に「でも、あの子が欲しいわけではない‼」に落ちれば優しく微笑んであげられます‼
自分にも当てはまるので、是非やってみて下さい‼
不妊治療のやめ時っていつ!?
先の見えない治療
私の周りの妊活中、妊活卒業の友人などとよく話題に上がるのが「不妊治療のやめ時」についてである。
不妊治療は予想以上に経済的にも身体的にも負担が大きいという。
突然、医師から「排卵しそうだから明日来て下さい」、「やっぱりまだでしたね、明日また来て下さい」と、結構な無茶を言われるらしい。
仕事を持ってる人はたまらないだろう…(;_;)
また、治療中100本近くの注射を打ったり、自己注射したりで本当に大変と言っていた。
その他治療費以外で、サプリメントや妊娠しやすい身体作りのための出費もある。
一昔前に治療をしていた親戚は、まだ助成制度も今ほど整ってなく、600万近くかかったと言っていた💦
ただ、親戚は幸い双子が授かり、治療の甲斐があった例であるが、そうでない例も勿論ある。
「今までこんなに治療費を支払ってきたし、あの人は○回目で授かったらしい。次こそは私たちも成功するかもしれない‼」と、ゴールの見えない螺旋階段を登り続けることになる…
医師の役目
治療者側は、一喜一憂し、これまでかけてきた労力と治療費「可能性がない訳じゃないから次も…」と淡い期待を抱き、回数を重ねていく。
医師側も、「こればかりは運」とでも言わんばかりに、(というか実際それに近いような気もしなくもない)延々と治療を勧める。
(全ての医者がそうではないけど…)
医師側も仕事である以上、治療をやめさせるという事は収入源を1つ失うこととも言えるから厄介!!
「やめ時」/「やめさせ時」は、個人の意思に委ねられている。
ある知人は不妊治療をやめるということは「お金をドブに棄てる覚悟を決めること」と言っていた…
極端な感じもするし、努力が実を結ばなかった場合、こういう気持ちになってしまうのかも…
そして、医療の進化で、高齢出産もハードルが低くなってる。
45歳での出産などもよく耳にする話になってきた。
病院側の諦めましょうとは言えない事情や、治療者側の諦められない心情などが複雑に絡み合って、やめ時が決められない現実…
恨みどころのないどうしようもない気持ち…
経済的なダメージ…
切実な問題です…
望まない妊娠、望めない妊娠
色々な情報があり、正確な情報を定めにくいが、妊娠したい女性が6~10人集まったら1人は不妊症であると言われている。
引用:厚生労働相ホームページより
友達が少ない私の周りにも治療中だったり、悩んでいる人が10数名いるから、6人強に1人は妥当な数だと個人的に思う。
妊娠と年齢の割合は以下の通りらしい。
25歳:25%~30%、30歳:25%~30%、
35歳:18%、40歳:5%、45歳:1%
一方、望まない妊娠の数は当然ながら把握されていない。
15歳未満の妊娠、中絶は増え、妊娠したい世代の30代~40代での中絶も多いという。
子どもが欲しくて、欲しくて、高い治療費を費やしても授からないご夫婦が多い一方で、いとも簡単に授かり、子どもを邪険に扱い、虐待する親、死なせる親がいる。
この何とも言えない、切実な思いと現実の噛み合わなさを考えると、釈然としない。
虐待事件を目にする度に、まるで物でも扱うかのような酷い事を我が子にするような親の元に子が授かり、経済的にも人間的にも余裕のあるこのご夫婦に授からないんだと…思ってしまう。
虐待事件~ネグレクト~
母親の対応は28回訪問に1度だけ 大阪男児死体遺棄 http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000088532.html?r=rss2&n=20161124172510 --- ニューススイート bit.ly/newssuitejp
またまた痛ましい事件が起こりました。
低栄養…お腹を空かせて…可哀想に…
本当に胸が痛みます…。
一人でもこのような被害を受ける子どもがいなくなりますように…
何が育児を阻んだんだろう…
1番可愛いらしい時期のはずなのに…
望まない妊娠だったのか…
経済的に苦しかったのか…
祖父母や親戚、友人は何も手助けできなかったのか…
大阪児相の働きは適正だったのか…
28回訪問して一回しか会えなかったら、かなり疑問が生じるだろうが。
私が育児相談員をしていた施設では、問題を抱えている親子一組に対し、様々な方向からアプローチを試み、連携を図っていた。
ただ、そういったケースは、ママ自身が相談に来てくれた場合や、行政施設に顔を出したり、積極的な子育てをしており、目につくことができる場合に限られるのだろう…
生死にかかわるまでもないそのケースにそんなに手厚く(手厚すぎるとも言える)対応してもらえるものなのか、と、正直ビックリしたのを覚えている。
こういった痛ましい虐待事件を減らすには、まず、目のと届かない親子にいかに目を向けられるか、引っ張り出せるかだと思う。
児童虐待~増え続けてるのか、見え始めたのか~
児童虐待件数の推移
児童虐待関連のニュースは後を経たない。
年々件数も増加の一途を辿っている。
ただ、これはただ増加していると悲観することではなく、むしろ一昔前と違い、児童虐待の実態を行政が把握できているということとも言える。
勿論把握できているのはごく一部の案件で、大なり小なりも加味すると、氷山の一角にすぎないだろう…
これだけの被害を受けた子どもがいると思うと、胸が締め付けられる…
虐待は世代間連鎖が多く見られる。
つまり、『虐待を受けた親が虐待を繰り返す』傾向があるということ。
それを考えると、恐ろしい事態が先々目に見える…
ママは絶対的存在!!
以前、学生時代にボランティアしていた児童養護施設でも8割強が児童虐待での入所と所長さんが話していた。
実際、腕に根性焼きの痕がある子どもや、自暴自棄になってしまっている子ども、鼻から下が火傷でケロイド状になっている子どもなど、色々な事が子どもがいた。
でも、ほとんどの子ども達は親の事を悪く言うことがない。
パパ、ママが大好き!!って子がほとんど。
当時の若い私には理解ができなかったけど、たまに面会に来る親を心待にしていたのが印象的だった。
根性焼きを見せてくれた4歳の女の子は『これはパパとママが悪いことをした時にジューッてしたの』と、思い出を語るかのように穏やかな表情でそう言っていた。
この子の腕に一生この傷痕は残っていくんだろう…
もう大人になっている今、あの子は自分の腕を見て何を想ってるのかな…
私は決して虐待をするパパとママだけの責任だとは思わない。
勿論、虐待行為を許しているわけではないけれど、その虐待の背景や子育て環境、経済的な理由、心の問題、自らの虐待経験など、そこに至る経緯が必ずあると思うから。
虐待される子どもが一人でも少なくなるよう、祈るばかり。
何か出来ることを探し中です。
と、その前に、偉そうにこんなこと言ってる自分の子育ても見直さないと💦
ごく普通の家庭での児童虐待
児童虐待の定義
①身体的虐待
殴る、蹴る、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する など
②性的虐待
子どもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィの被写体にする など
③ネグレクト
家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など
④心理的虐待
言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV) など
改めて自分の子育てと照らし合わせてみると、上の定義内の言葉にはコトバの強さがあるものの、言い換えると自分に当てはまる項目があるのに気付かされます…。
例えば、身体的虐待の「殴る」=「叩く、小突く」とか、心理的虐待の「言葉による脅かし」=「○○しないなら~だからね!!」や「パパ(コーチ、先生)に言うからね‼」「だから君はダメなんだよっ」とか…
高圧的にやっちゃってます…。
子どもの心挫いてます。
特に高学年になり、反抗的に来られると、ついつい高圧的に禁止令や制限を設けて、大人ならではの力で制圧しようとしちゃったり。
周りの友達と比べてしまったり…
ありますよね…。
無いですかね…。
②③は日本では極稀事案ですが、かすってる家庭は多いと思います。
①④は程度の差はあれど、多くの家庭で繰り広げられてるのではないでしょうか。
せめて家ではありのままで、落ち着ける場所にしてあげたいという理想はあります。
が、しかし。
現代の子どもたちは本当に大変です。
学校、受験、習い事、友人関係…
親も我が子の体裁を保つため必死です。
結果、家でもあれしろ、これしろ飛ぶわけです。
経済的に豊かな家庭では特に、受験や習い事に費やす時間が多い分、学力、能力を周りの子と比べる機会が多いため、親子ともにストレスにさらされることも否めません。
一般的にマスコミなどに取り上げられる虐待は、死に至ってしまったり、ダメージが強いものばかりで、貧困であったり、複雑な家庭環境が目立ちます。
ですが、傍目からは何の不足もない『ごく普通の家庭』でも、親からのダメージや影響を何らかの形で子どもたちが受けていることは間違いないことでしょう。
健全な親子関係を築けるように、親こそ日々成長していかなくてはいけないと感じます。